感性の法則

わたしはね。
音楽を聴くときも
弾くときも

何を感じるか

それだけを見ているの。

基本はそれだけでいい。

アタマの中に
音楽が仕込まれて
全ての音が聞こえるようになって

今度は歩きながら
音楽が流れてくると

一つの言葉(フレーズ) について
その意味が見えてくるのよ。

でも感じることが先なの。

アタマの中に再現された音楽を
風呂場で聴いていて
胸が熱くなるとか。

よくあるのよ。そういうこと。

風呂が熱いんじゃないよ。笑

自分の音で、風呂場で
胸が熱くなるのよ。

感動して痺れるときもあるもの。

それが生きるって事。

指揮台に立ったとき
再度、みんなが出してくる
新しい音に出会えるまでは

そうやって自分の中で
ゆっくりと音楽を温めるワケ。

場合によっては
何十年も温めるんだよね。

音楽が感じられて
自分がその前に立てるように
なるまで。

自分の世界観と
音楽が持つ世界観が
しっくり来るまでには

結構、時間がかかるんだ。

そのためには
生きなきゃならない。

自分という現実を。

そうやって時間をかけて
音楽は深まっていく。

指揮者って
弾く事にあまり意味はないし

せいぜい指揮する作品を
ピアノで弾いてみて

響きに身を任せたり
音楽の流れや
本質を考えるくらい。

要は、どのくらい
感じるチカラがあるか。

そこが一番大事。

引き寄せの法則
ってのがあるけれど

ある意味では指揮者って
一番、引き寄せを使うんだよ。

自分で音を出さないのに

感じて
自分に溜め込んだ音楽が
他人からの協力を得ることで

それ以上に
発現されていくからね。

私は、其処に奇跡を感じるんだ。

多分、これを伝えるために
音楽やってるんじゃないかな。

感じた音は、
目の前で必ず実現する。

つまり、
あなたが感じたことは
真実であり

あなたには、
その感じたことを
実現するチカラが与えられている

ということ。

自分が感じたことは
真実なのさ。

あなたが何かに感動したなら

あなたはそれを
再現出来るだけでなく

さらに素晴らしい世界を
啓くことになるということ。

昔、イタリアの
Trevisoという街で
師匠と散歩していて

毎日
同じ道を歩く際に、
禅問答をするのが日課だった。

音楽について語るようで
あまり語った記憶がなく

私たちの話しの最後は
常に「生きる」という事だった。

どう生きるか。
何を生きるか。

主語は自分なんだ。
それで良いんだよ。

Muran

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Photo©️中村ユタカ

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